RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
だから一字を直す仕事は、一字だけを見る仕事ではない
行末に一字を加える。入りきらなくなった文字が、次の行へ送られる。その一字を受け取った行もいっぱいなら、そこからまた一字が押し出される。
修正したのは一か所なのに、行の動きはそこで止まらない。組版では、これが珍しくない。一字を削れば前へ詰まり、加えれば後ろへ送られる。
句読点や括弧が関わると、行頭や行末に置かないための禁則処理によって、想像した位置とは違うところで折り返す場合もある。もちろん、一字を別の一字へ置き換えただけなら、何も動かないことも多い。
日本語の文字は、同じ幅で並ぶように組まれるのが基本だからである。だからこそ、動いたときには理由がある。追加や削除なのか。
記号が関係したのか。直した箇所だけを見ていると、その理由を見落とす。私が気になるのは、修正の影響が意味の範囲を越えていくことである。
書き手にとっては、誤字を一つ正しただけかもしれない。表現を明確にするため、助詞を一字足しただけかもしれない。文章としては、そこで仕事が終わったように見える。
本の形から見ると、その一字は場所も持っている。どの行に収まるか。段落の終わりがどこへ来るか。
次の段落が同じページに入るか。ページをまたぐなら、見出しや空きの位置まで変わらないか。一字は意味の部品であると同時に、版面の面積を使う物でもある。
そのため、文章を正したあとには、直した一字だけでなく、その行の終わりと次の行を見る必要がある。さらに段落の終わり、ページの下端、その次のページまで確かめる。
一字の正しさを確認する作業が、いつの間にかページ全体の確認になっている。ここには、校正と組版を別々の工程として割り切れない理由がある。文章だけを見れば正しい修正でも、本の中へ置いたときに読みにくい形になることがある。
一方で、版面を守るために必要な修正を避ければ、文章の誤りや不自然さを残すことになる。形を整えるために文章を曲げるのでも、文章を守るために形を無視するのでもない。
両方が収まる場所を探すことになる。画面上の文章なら、表示する端末や文字の大きさによって改行位置は変わる。紙の本では、文字は決められた版面の中に置かれ、その位置で残る。
どこで行を終え、どこから次のページを始めるかも、本の一部になる。
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