RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
目次に並ぶ、まだ読んでいない数字
目次に並ぶページ番号は、本文の内容を何も語っていない。示しているのは、それぞれの章がどこから始まるかだけである。それなのに、まだ一ページも読んでいないうちから、その本がどのような歩幅で進むのか、数字だけで少し見えてしまう。
たとえば、ある章が十二ページから始まり、次の章が十八ページから始まるなら、その間は六ページほどだと分かる。さらに次の章が四十七ページから始まるなら、十八ページからの章は二十九ページほどになる。
隣り合う開始ページを差し引けば、その章のおおよその長さが出る。一つでは位置にすぎない数字が、次の数字を伴うことで長短を表すのである。章題には、その章で扱われる人物や出来事、場所、論点などが表れることがある。
一方、ページ番号は意味を持たない記号のように見える。ところが一覧にすると、各章へ割かれた量の偏りが見えてくる。ほぼ同じ分量が並ぶ本もあれば、途中の一章だけが大きな場所を占める本もある。
内容は分からなくても、構成の凹凸は目次の右側に出ている。その凹凸を目にすると、読む側は本の速度まで想像する。細かな区切りが続けば軽い足取りで進み、長いまとまりがあれば、そこでは腰を据えることになるように思える。
目次は本文を要約するだけではなく、まだ始まっていない読書に仮の呼吸を与えているらしい。もちろん、ページ数と読む時間は一致しない。数ページでも何度も戻りたくなる章はあり、長い章を一気に通り抜けることもある。
扉や図版、余白の取り方によって、数字から受ける印象が実際の文章量とずれる場合もある。目次から分かるのは本当の速度ではない。読む前の読者が組み立てた、予想の速度である。
その予想があるからこそ、本文で裏切られることにも意味が出てくる。短いと思っていた章が重く残ったり、長いと構えていた章が早く過ぎたりする。数字は内容を説明しないが、内容を受け取る前の姿勢には関わっている。
ページ番号は案内であると同時に、読者がまだ知らない本へ持ち込む最初の見当でもある。そして目次の数字には、一つだけ測りにくい箇所がある。最後の章だ。
その下に次の章のページ番号がなければ、目次の並びだけでは長さを割り出せない。途中の章は次の始まりによって終わりの位置を知らされるのに、最後だけは後ろ側が開いている。
本全体の歩幅を見せていた数字の列が、そこで急に測ることをやめる。読み終えたあと、同じ数字はもう予想ではない。どこに何があったかを指す住所に近くなる。
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