RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
読み直す一行の、ひとつ前
「一行を読み直す」という言い方は、読み直す範囲を正確に示しているように見える。ところが、気になった一行へ目を戻すとき、私の目はその行の先頭では止まらない。
少し前へ戻り、ひとつ前の行の途中か、行末あたりから読み始める。確かめたい箇所は、たしかにその一行にある。意味を取り違えた気がしたり、表現に引っかかったりした場所も分かっている。
それなのに、そこだけを読み直そうとすると足りない。目は頼まれてもいない範囲まで戻る。散文の一行は、多くの場合、文章の意味に合わせて終わっているわけではない。
版面の幅や文字の大きさによって、その位置で折り返されている。句点の直後で行が変わることもあれば、主語と述語のあいだ、修飾する部分とされる部分のあいだで分かれることもある。
そのため、気になった一行の冒頭が「しかし」なら、その前に何を受けているのかを見なければならない。「それは」で始まっていれば、「それ」が何を指すのかは前にある。
行の後半に結論らしい表現が置かれていても、その条件や主語はひとつ前の行へ残されているかもしれない。ここまでは、途中で切れた一文を初めから読み直しているだけともいえる。
だが、目が戻る理由は文の途中だから、という場合に限らない。気になった一行の冒頭に、前の文を閉じた句点の直後から始まる独立した一文が置かれていても、その前まで戻ることがある。
文法上はその一行だけで完結していても、なぜその断定が置かれたのか、何に対する返答なのかは前の文に預けられている。文の形が閉じていることと、意味がそこで始まっていることは同じではない。
反対に、必ず文や段落の先頭まで戻るわけでもない。まずひとつ前の行を読み、そこでつながれば戻るのをやめる。足りなければ、もう一行さかのぼる。
読み直しの範囲は最初から決められているのではなく、意味の手掛かりが見つかるまで少しずつ広がっていくようである。同じ文章でも、紙面の幅や表示の大きさが変われば改行位置は変わる。
ある本ではひとつ前の行にあった語が、別の表示では気になった一行と同じ行へ入ることもある。その場合も文章のつながり自体が変わったわけではない。
変わるのは、目が「ひとつ前」と数える場所である。初めに読むとき、目は行を順番に渡っていく。読み直すときには、その順番を一度逆にたどる。
視線は上へ戻っているが、探しているのは過去の行ではない。気になった箇所へ、どこから意味が流れ込んでいたのかを確かめている。この動きを見ると、一行だけを抜き出して文章を判断する難しさも分かる。
その一行が分かりにくいのかもしれないし、ひとつ前からの渡し方が分かりにくいのかもしれない。引っかかった場所と、引っかかりが生まれた場所が同じとは限らない。
新しい記事をメールで受け取る
武岡 隆の新しい文章が公開されたとき、メールで静かにお知らせします。
登録料・購読料はかかりません。メールアドレスはブログ更新通知のためだけに使用します。いつでも解除できます。


