RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
本の帯は、いつまで本の一部なのか
帯は、本に巻かれているのに、本を開く動作にはあまり参加しない。表紙の一部を覆い、題名や著者名を繰り返し、ときには推薦文や受賞、映像化などを大きく伝える。
書店で本と向き合う段階では、かなり前に出ている。ところが、読み始めるときには外されることが多い。巻いたままではずれやすく、折れ目もつきやすいからである。
ここで気になるのは、帯がいつ本の一部ではなくなるのか、ということだ。外した瞬間なのか。処分したときなのか。
それとも、最初から本そのものには含まれていないのか。外せることだけを基準にするなら、帯は付属物に見える。ただ、その基準では表紙にかかったカバーも同じ側へ入ってしまう。
カバーを外せる本は珍しくないが、そこに印刷された題名や絵を、本と無関係な包装だとは考えにくい。外せるかどうかでは、境目をうまく引けない。帯とカバーの違いは、そこに置かれる言葉の向きにあるように思う。
カバーの題名は、その本が何という本であるかを名乗る。帯の言葉は、その本が今どのように紹介されているかを語る。「推薦」「重版」「受賞」といった言葉は、本文の中から出てくるのではなく、本の外側にある評価や出来事をこちらへ向ける。
帯は本について話しているが、本自身の言葉とは少し違う。それでも、帯を単なる広告として片づけると、見落とすものがある。帯を前提に組まれたように見える表紙では、帯を外したときに初めて現れる文字や絵がある。
反対に、帯を巻いた状態では、表紙の下部は帯の色や文句に置き換わる。本と出会うときに見えていた表紙は、帯を外したあとの表紙とは同じではない。さらに、帯の一文は読む前の本へ先回りする。
仮に「これは家族の物語だ」と書かれていれば、まだ一ページも読んでいなくても、登場人物の関係をその方向から見始めるかもしれない。帯を外してから本文を読んでも、その見方まで一緒に外れるとは限らない。
紙は本から離れても、帯が渡した読み方は中へ入り込むことがある。一方で、帯を巻いたまま保管すれば、いつまでも本の一部であり続けるとも言い切れない。
帯には、その時点で新しい情報が載ることがある。「話題」「最新」といった表現は、題名より早く時間の影響を受ける。本は同じ内容で読み継がれても、帯の文句だけが、貼り付けられた時期を示すものへ変わっていく。
つまり、帯には二つの外れ方がある。紙として本から外れることと、そこに書かれた言葉が現在の紹介ではなくなることだ。この二つは同時には起きない。
外した帯の文句が読み方に残ることもあれば、巻かれた帯の言葉だけが先に古くなることもある。帯に印刷された「いま話題」の「いま」は、本より先に過ぎていく。
帯が巻かれたままでも、その一語はすでに本から離れ始めている。
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