RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
AIがそろえた章題の長さ
AIに複数の章題をまとめて提案させると、長さがよくそろう。同じくらいの語数で、文型も似ていて、語尾まできちんと対応している。目次に並べたときの収まりはよい。
そこで私が気になるのは、その整い方がどこまで必要なのかということである。章題は、二つの場所に置かれている。一つは目次であり、もう一つは各章の入口である。
目次ではすべての章題が一度に見える。長さや形がそろっていれば、全体の設計が伝わりやすい。ばらばらな案より完成に近く見えるのも、この場所である。
ところが本文では、章題は一つずつしか現れない。読者は直前の章を読み終え、その続きを持ったまま次の題を見る。目次で隣り合っていた二つの題も、本文では同じ条件で読まれるわけではない。
出来事の多い章を抜けたあとなら、一語だけの題が読者をいったん止めることがある。反対に、場面や時間が大きく移る章では、少し長い題が次の位置を知らせる役目を持つ。
題の長短は見た目の差であると同時に、次の本文へ入るまでに読者が受け取る情報量の差でもある。AIが章題を一括で考えるとき、各章の違いより先に、案同士の関係が整えられやすい。
「扉を開く」「橋を渡る」「町へ戻る」のように、同じ形の言葉が並べば、一組の案としては分かりやすい。三つの章がそれぞれどんな読み終わり方をするのかは、その一覧だけでは見えにくい。
これは、そろっていること自体が悪いという話ではない。同じ文型を繰り返すことで、物語の構造がはっきりする場合もある。似た題が少しずつ変わっていくことを、作品の仕掛けにすることもできる。
必要なのは不ぞろいに直すことではなく、その反復が作品から出てきたものか、提案の体裁から出てきたものかを見分けることだと思う。確かめるなら、章題だけの一覧を眺め続けるより、それぞれを本文の位置へ戻した方がよい。
前の章の最後の一文に続けて置き、次の章の書き出しまで読む。すると、同じ七文字の題でも、すぐ通過できるものと、説明が一つ余っているものが出てくる。
長さの数字は同じでも、読む時間は同じではない。もう一つ見たいのは、題を別の章へ移しても違和感がないかである。似た文型が続くほど、語句を交換しても成立してしまうことがある。
それは統一感というより、各章から受け取ったものが題にまだ十分残っていない状態かもしれない。章題は一覧の部品である前に、その章を通らなければ付けられない名前であってほしい。
AIがそろえた長さは、目次を整えるには役立つ。ただ、目次で最も収まりのよい一題が、本文の入口では一拍長いことがある。その一拍を削るか残すかは、一覧の美しさだけでは決められない。
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